中南米の大自然と遺跡の数々。
9ヶ月に及ぶ縦断の記録です。             
第16話 インカのお墓                               



<<インカのお墓>>

 ナスカ・フライトを終え、小休憩をした後、次は「インカのお墓」というツアーに参加することにした。ツアーといっても乗用車で移動するほどのこじんまりしたもので、他の参加者はフランス人の親子だけで、運転手も含め、4人でのツアーとなった。この「インカのお墓」というのは、もともとナスカ文化が栄えた時期の墓地後で、その当時に埋葬された人々が身に付けていた織物や一緒に埋められた土器などのお宝を、盗賊達が掘り起こした跡で、そこら中に白骨が散らばっていて、中には黒い髪の毛や衣服の一部と思われるものまであった。そして何よりもの見物は掘り返されたままの姿で放置されているミイラたちだった。ここに来るまでにあちこちの博物館などでミイラを見てきたが、ここのミイラほど迫力のあるものは無かった。本当に目の前に放置されたいるのだ。もし、日本にミイラが発見されれば、相当すごい待遇で安置され、多くの見物客を集めることになると思うのだけど、それに対しナスカのミイラは表現はおかしいがなんとなく野生のミイラっていう感じがした。ここ、ナスカの気候条件だからこそ出来る安置の方法なんだと、妙に納得してしまった。ナスカの気候とは年間にほ とんど全く雨が降らずに、空気も極度に乾燥していて、自然と絶好のミイラ保管場になったんだと思う。ただ、ちょっと前にペルーで大洪水が起こり、砂漠の中に大きな湖ができたというニュースを聞いて、ミイラたちがどうなったのかと心配になった。今まで数百年間も安置されていて、今後もずーっとそのままで在りつづけるであろうはずだったのに、まさかミイラ本人たちもこんなに早く安眠を妨害されるとは予測もしていなかったと思う。こんな所にも異常気象の波が押し寄せてきているとは・・・。


<<ペルーアンデス越えに挑戦!!!>>

 ペルーではどうしても、ナスカとクスコ(インカ帝国の首都)は外せなかったので、どういうルートを取ればいいか考えなければならなかった。というのも、ナスカ〜クスコ間のアンデス越えは相当な悪路で、しかも、山間の村にはゲリラが潜んでいたり、盗賊が多いと聞いていたためだった。このことをコロンビアで知り合ったバイクで南米を走っている人に相談すると、ゲリラの話は2〜3年前の話で今はもう落ち着いているということだった。盗賊も昼間は大丈夫じゃないかなあ?と、言っていて、実際にこの区間を自転車で走った人がいるというのでアンデス越えを決心した。その自転車で越えた人の情報によると、一昔に比べると治安状態は落ち着いているが、村の人々には「夕方5:00以降は走らない方が良い。」と、言われていたそうだ。
 すでに、インカのお墓ツアーのときにアンデス越えの道を確認していた。ナスカの標高はだいたい海抜600メートルで、とりあえず最初の峠は海抜4330メートルまで一気に上り詰める予定だ。
 いざ、挑戦してみると道はまだ出来て間もないアスファルトで、しんどいことはしんどいのだが、自転車にまたがったままで上ることが出来た。が、終日、全くの上りというのは初めての経験で、崖から下を覗きこむと、今まで上ってきた道がくねくねと曲がっているのが確認でき、ここを走るのもすごいけど、よくもこんな所にこれほどの道を舗装したなあと、造った人々に感心した。途中、民家がありその横でテントを張らさせてもらい、その日は休んだ。
 昼間は雲一つない青い空が広がっていたが、夜になって雲が出てきて星が見えなくなっていた。こんな所から星を見たらさぞかしよく見えるんだろうなあと思いながら、シュラフにもぐった。
 2日目も相変わらずに上りで、途中一箇所だけフラットか少し下りの所が2〜3kmほどあったくらいだった。標高が3800メートル地点のところにレストランがあり、この日はそこで泊まることになった。食事をとり、話し込んでいるうちにそうなってしまったのだが、こういう人々とのふれあいも楽しかった。この日はその家のおじいさんの誕生日だったらしく、「アヤクーチョ」地方の音楽に合わせ、民族ダンスを踊った。それがまたステップが速く、なかなかついていけなかったが、音楽に合わせて身体を動かしているだけで楽しかった。さすがに標高が富士山よりも高いだけあってめちゃくちゃ寒かった。ほんの少し前までは雪が積もっていたと言うのだから当然のことなんだけど、そこにいた人達はよくそんな格好で寝れるなあという格好に毛布らしきものをかけて寝ていた。こちらは防寒用にデニムのシャツ、セーター、そしてレインコートを着て、シュラフとシュラフカバーという、完全武装でなんとか安眠を確保できたというのに・・・。

 朝起きるとパンパに昇る朝日は格別に素敵だった。そしてほんの少しだが頭の痛みを感じていて、そのことを言うと、「ここは標高が高いから、多分その為だろう。アルコールの匂いをかぐと良い」と言われ、アルコールを手にかけられ、試して見た。効果が出たのかどうかは分からないが、なんとなく気分は良くなった。
 出発のときにアルコールを少し容器に入れて持たせてくれ、こちらからはお世話になったお礼に日本から持っていった絵葉書に感謝の言葉を書いて渡した。すぐに標高4200メートル地点にある軍隊の「Control」という、パスポートチェックなどをする日本風に言うと関所みたいな所に着いた。昨日、泊まった所は標高が3800メートルと言っていたが、たぶん、すでに標高4000メートルを越えていたんではないかと思う。そして、すぐに標高4330メートルの峠に着いた。ただ、上りついたときはそこが峠と分からずに、ちょっと走ってからさっきの所が峠だったんだと気づいた。せっかくの峠なんだし、何か目印でも置いていてくれれば良いのに、などと思いながらも、初めての標高4000以上の峠越えに感動しまくってしまった。ナスカからだいたい100km地点で、100kmの上りなんてなかなか体験できないし、それを自力で上りきった感動は何とも言えなかった。まして、それが標高4330メートルの峠となるとなおさらだった。そして、いよいよ下り。今までの上りでのストレスを一気に解消してくれた。峠を上り詰めた後の下りは、実際に経験した者でしか分から ないが、至福の喜びと言える。しかし、世の中はそう甘くはなく、そんな喜びの時間もそう長くは続かなかった。なんと、快適な下りはたったの10kmしか続かなく、いきなりアスファルトが途切れ、石がごろごろと転がっている悪路に豹変した。やっぱり情報どおり、ナスカ〜クスコ間は悪路との闘いになりそうだ。一応、下りなんだがとてもじゃないが自転車に乗ってはいられなかった。フル装備の荷物を満載した自転車なので、ちょっとでも気を抜くとすぐにパンクするので、気が気で無かった。

( 第17話へ続く

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