ボーイスカウト吹田2団【平成14年4月10日発行】
第123号



スカウトは快活である   団委員長 藤井武司


 50周年記念行事を進めるに当たり、結成当時関わりをもたれた方々数名に参集願いお話を聞く機会を得ました。 
 前身としての健児団での活躍、そして戦後結成迄の苦難、結成初期大光寺、常光寺を基地としての活動等々、戦前〜戦時中〜戦後〜団結成迄の流れとその間のエピソードを含め時間のたつのも忘れ話は弾みました。
 お話を聞かせて下さった方々は、私達よりも数十才年上なのですが、表情豊かに溌剌として思い出話を語られ、何よりも若々しさは私たちが負けそうな雰囲気。正に「スカウトは快活である」の言葉通りの方々でした。


3月10日 シュッ・シュッ・ポッ・ポー ビーバー隊


京都梅小路蒸気機関車館見学

晴れていい天気になりました。今のスカウトはSL機関車は展示しているところに行かない限り見た事はないだろう。
実際SLが走っている所は広島、それも一区間だけかな・・・・・
 さて、岸部を出て京都行きの電車に乗って京都駅で下車、亀岡行きの丹後線に乗り換える。一区間で下車し、そこから歩いて15分あれば蒸気機関車館に到着する。
館内に入る前に横の公園で10分ほど休憩してから記念写真を撮り入館。すでに多数のお客さんが入館していた。天気も良く暖かいし家族連れなどが多い。それと豊中4団のビーバースカウトも来ていた。
11時から実際にSL蒸気機関車に乗せてもらえる。往復10分ほどで、スピードは5〜10キロ走行くらいかな、しかし汽笛の音が大きすぎてその近辺の人たちの苦情は無いのだろうか・・・・・?
汽笛の音が大きすぎて耳をふさいだ子もいた。うるさい。昔SLが走っていた頃はそんなに大きい音とはおもわなかったが、今はその汽笛も聞かない。
車庫の中にSLが10車両ほど入っていた。その中の1両で、天皇陛下が乗られたSLもあった。SLの運転室を通り抜ける事が出来るようにしてある。もう一回り見てから館内を出て公園でご飯を食べた。
かなり大きい公園だ。食べ終わったスカウトは石の上に上がって遊んだり、女の子は少し高くなっているところにどんぐりの木などがあり林になっている。そこでドングリを集めたりしていた。
皆を集めて、縄跳びで遊んだり片足でケンケンして行ってそこから狭く縄跳びで仕切りをして縄を踏まないようにして行き、リーダーとジャンケン。負けたらもう一度、勝った人はビーバーノートを持ってきて木の葉章を渡す、それからおやつをもらう。
 最後に歌の練習をして終了。荷物を片付けて駅まで歩く。電車の中では何人か気持ちよく眠っていた。
参加ファミリーの皆さん、お疲れ様でした、無事怪我もなく帰ってきました。

3月10日 春の野山を駆けめぐろう カブ隊


 さわやかな天気に恵まれ、今日はハイキングです。行き先は服部緑地公園です。忘れ物は無いかな?
お弁当もって来たかな?水筒は? ではいざ出発!!みんながんばって歩こうね???
 皆口々に「まだ〜」「しんどい」「あとどれくらい?」ホントはリーダーもしんどいねんで!!
途中、隊長の家を見学して、休憩のため垂水神社にお邪魔しました。垂水神社は吹田22団の団本部です。
団委員長の神主さんに挨拶をして、休憩させていただきました。
さあ!あとちょっと、みんながんばれ!!
やっとこついたのは、お昼前。お昼の準備、皆が持ってきたカップラーメンを作ろう!各自ポケットコンロでお湯を沸かして、3分間待って「いただきま〜す!」
持ってきたカブ弁とあたたかいラーメンで腹ごしらえ。今回はラーメンをひっくり返すスカウトは、いませんでした。
よかった〜!
お腹がいっぱいになったら、ポイントハイクの始まりです。
隊長からの暗号文を手に全部で5つのポイントです。


 公園の地図を持っていたのですが、1つの組は迷ってしまい、1,2のポイントが廻れませんでしたが、4ポイント目で1と2の課題を何とかこなして、全ポイント制覇ということにしました。ちょと甘かったかな?
他団のスカウトもポイントハイクをしていました。
みんな良く歩きましたね。 えらかったよ!
今回は団委員さん2名のかたにお手伝いいただき、ホントに助かりました。
スカウトも自信がついたと思います。
今度はもうちょっと遠くまで歩こうね!



3月9〜10日 訓練キャンプ ボーイ隊

場所:箕面奥院(粟生外院)
参加メンバー:【リーダー】友岡、小西、中井、細井 計4名
   【スカウト】5名 合計9名

辺りが木々に囲まれ薄暗い中、時折吹き込む涼しい風に春を感じ、空を見上げると光の筋が差し込むような雰囲気に酔いしれ、開村式が行われた。春の訪れも感じられ、キャンプをするには最適な気候となり、また天気も最高に良かった。
初日の午後は基本的な訓練となり、夕食の準備に取り掛かった。
調理をしている途中でスカウトの一人がジャガイモの皮をむいている最中に皮むき器で指を怪我をしたが、丁度その場に居合わせたスカウトが手際よく応急処置を行なった。
その姿を見ていると、だてに進級科目をこなしているのではなく、習得しているんだなあと感心した。
夕食後焚き火を囲みながら50周年記念行事についていろいろと話をし、ボーイ隊で担当するスタンツの内容を考えたり、また歌の練習をしたりした。
2曲の歌のうち「Believe」の方は参加していたスカウトの殆どが知っており、みんなちゃんと声を出して歌を歌っていた。
スカウトソングの場合だとなかなか声が小さいのだが・・・。
目の前にあった焚き火を見てスカウトの一人から「隊長!火付けゲームをしたい!」という、申し出があり、「ゴメン、今日はマッチ持ってきてへんわ〜」と、答えると、「マッチ持って来てます!」という答えが3人から返ってきた。
ということで急遽、翌日に火付けゲームを行なう事にして、最後に小西副長が用意をしていた焼き芋を食べ、初日の行事を終了した。
翌朝、目が覚めるとさすがに寒い・・・。
昼間は暖かくてもまだ3月だし、当たり前のことなのだが…。  
午前のプログラムではまず、キャンプしているすぐ横に大きな池があり、その周りを1週するといった具合の散歩程度のものだったが、最初はかろうじて道があったが、途中からは道も無く、急斜面を登らなくてはならなくなり、自然と手足に力が入った。油断していると足元の土が崩れ始めたりと、なかなか大変だった。
なんとか池を半分ほど周ったあたりでいつの間にか、どこまで遠くに石を投げる事ができるかといったゲームが始まり、罰ゲームもあるのでみんな少しでも遠くへ飛ばす為に石選びから真剣だ。
罰ゲームも終わり、再び歩き始めるといきなりの急斜面にさっき以上にみんな真剣にならざるを得ない状況だ。
そして、みんな無事に元のキャンプサイトへ戻ってくることが出来た。
ほんのちょっとした冒険だったが、各々にいくらかの葛藤が生まれ、その葛藤とどう向き合っていくか、という思いが生じたと思う。
目の前の困難に立ち向かうときに、それぞれが創意工夫を凝らし、安全に対しての万全の注意を払い、チャレンジする。そういったことをこれからもボーイ隊の活動で実践していってもらいたい。
キャンプ地に戻った後、前夜に申し出があったとおり、「火付けゲーム」を行なった。
あるスカウトは昨年の夏に火をつけることが出来無かったのだが、今回の火付けゲームでは率先して「やりたい!」と、言っていた。
何か策があるのだろうか…?
 いざ、ゲームが始まるとみんな辺りから薪になる木々を探しに行ったが、そのスカウトだけ目の前から姿を消したかと思うと、暫くしてどこからかすぐに火がつきそうな木々を拾ってきた。
木々とは言いがたかったが、ルール上では全く問題の無い代物だった。
スカウト技能の考査としては「マッチ2本で火をつけることができる」ということだが、この火付けゲームでは地面から高さ約30cmほど上に張られた麻紐を燃やして切らないといけない。
つまり火をつけるだけでなく、いかにその麻紐を早く切る事ができるかという事が重要で、又それがなかなか難しい…。
いつもの事だけど、火はすぐにつくのだけど、その後の方が難しい…。
それでも、回を重ねるごとに上手くなっているのは見ていれば分り、麻紐がすぐに切れる日も、そう遠くは無いと思う。

3月22〜25日 ス キ ー ボーイ隊

場所:新潟県妙高赤倉高原ホテルスキー場
参加メンバー:【リーダー】友岡、小西、岩橋CS副長 計3名
【スカウト】2名 合計5名
今回は急遽スキー行事を組んだのもあり、参加スカウトが少なかったのが非常に残念だった。
茨木9団のリーダーから合同行事の申出があり、団行事に参加させてもらっての実施だ。
参加した二人のスカウトは二人ともかなりスキーの技術を習得したようで、良かったのだが、他団との合同行事という事だけあって、スカウト間の交流という面での方がどうなるかと思っていたが、リーダー、スカウト共に違和感も無く交流が持て、さすがボーイスカウトという感じもした。普段と違った点等もあり、いろいろと勉強になったのと同時に良い刺激を受けることも出来た。
単なる遊びのスキーという形ではボーイ隊の行事に組む必要は無いと思っていたのだったが、今回のように他団のスカウトとの交流や、「スキー訓練」という形で、実際にスキーの腕が上達するようなプログラムであれば、今後も組み込んでいきたい、というのが参加したリーダーの感想だった。

鮑のつぶやき
育成会長   辻本繁夫一

 “Back to nature(vol.U)Looking for a star”     
  

昔から恐い物の例えに“地震・雷・火事・オヤジ”と言われてきましたが、オヤジの権威は地に落ち、恐い物に入らなくなって久しくなりました。そこで、恐くないオヤジが恐い話しをしだしたと言われるような話題を一つ。
約6500万年前に起こった恐竜絶滅の原因とも言われる小惑星衝突!!この脅威に再び地球が襲われる恐れはないのでしょうか?
人類存亡にもかかわる小惑星の接近を監視するため、天体ウオッチングを呼びかける「国際小惑星監視プロジェクト」が約2年前からイギリスにてスタートしているのをご存知でしたか?
そこで、少し小惑星についてお勉強しましょう。太陽系内には直径1キロ以上の小惑星が100万個以上あるとされていますが、この内確認されているものは、約20万個、正確な軌道がわかっているものに至っては、わずか2万個程度にとどまっています。
小惑星は太陽系内でもっとも数の多い天体ですが、その素顔はよくわかっていません。
確認済みの小惑星20万個の内、軌道がおおよそでもわかっている10万個以上、直径は最大約1000キロのものが知られていますが、大部分は数キロ〜数十キロと微少で、火星と木星間の小惑星帯と名付けられたところで太陽の周りを回っています。
ほとんどは円に近い軌道を飛ぶが、稀に細長い楕円軌道を描く個性派がいて、これが地球とニアミスを起こすのです。
小惑星は約46億年前に太陽系が出来たとき、大きな天体になれなかった破片です。火山活動や風化などの影響を受けず、太古の状態を保存しているため“太陽の化石”とも言われています。
そして、地球とこの小惑星が衝突したらどうなるでしょう。最も知られているのは、恐竜絶滅の原因と言われている6500万年前の衝突でしょう。
この時、現在のメキシコ、ユカタン半島に衝突した小惑星の直径は10キロ程度だったと推測されています。
人類が目撃した中で最も激しかった天体衝突は、1908年6月30日にシベリアのツングースカを襲った大岩石である。
直径60メートルの小天体が落下し、空中で爆発した。
20キロ以内の森林は火の海となり、爆発規模は広島に投下された原爆の約1000倍と推測されています。幸い市街地から遠い森林地帯だったため、大惨事には至らなかったのですが、ユカタン半島に落下した小惑星のパワーは、このツングースカの500万倍あったと考えられています。
今、こんな小惑星が地球を襲ったら文明は滅亡してしまうでしょう。
さて、衝突の確率はどのくらいあるのか。わが国の小惑星監視活動をリードする「日本スペースガード協会」は、これ程巨大な衝突が起こる確率は、約1億年に1回、しかし小規模な衝突は想像以上に頻繁に起きる可能性があると言っています。優雅に夜空にまたたく星の中には、どこにでもあるのですが、異端児がいて“地球と仲良くなりたーい”と飛び込んでくる星がいるらしいのです。
その星を気をつけて発見しては如何でしょう。もっとも、頭上に来た時には、どこへ逃げても無駄というものだすが・・・。
潔く消滅してください。
今回は少し“重い”テーマを扱ってみました。よく考えてみれば、自然の脅威というものはすぐ身近にもあるものですね。
皆さん、気をつけましょう。(何に気をつければいいんかなぁ?)
では、今回はこのあたりで、又。「滅亡していなければ」つ・ぶ・や・き・ます。


編 集 後 記
 
4月、いよいよ新年度、新学期の始まりですね。スカウトの皆さん、入学、進級おめでとうござ
います。新しい教科書とノートを前に、気持ちも新たにされていることでしょう。
そして学校は完全週5日制で、全土曜日が休みとなります。その時間を、勉強に使うか、遊びに使
うか、ボーイスカウト活動に使うか・・・、とにかく有意義にすごしましょう。
また、ボーイ隊の細井真知子副長と小西良副長の就職が決まり、めでたく新社会人となられました。
おめでとうございます。仕事もスカウト活動も、がんばってくださいね。