中南米の大自然と遺跡の数々。
9ヶ月に及ぶ縦断の記録です。



第2話 南米の大地を踏む


1996年6月8日(土)。いよいよ中南米自転車縦断旅行へ向けて旅だった。
関空に見送りに来てくれた家族と友人達に別れを告げ、出発ゲートへ向かった。今まで全く何とも無かったのだが一人になった時、初めて涙が溢れて来た。

いよいよ出発だ。KE(大韓航空)757便は定刻に離陸した。
不思議と不安はなく、いや、あったのかもしれないが、未知なる世界”南北アメリカ大陸”への希望と好奇心が、そんなものは吹き飛ばしてしまっていた。  

ソウルで乗り換え、やっとロサンゼルスに着いた。
日付け変更線を越えたので、今日もまた6月8日だ。
右も左も分からないまま、とにかく日本人街であるリトル東京の、すぐ近くにあるホテルにタクシーで向かったのだが、着いた所は昼間なのに人の気配もなく静かで不気味だった。
やはりアメリカ、いきなりでびびってしまったが、なんとかホテルを見つけ荷物を運び入れ一安心だ。

飛行機での長旅の疲れか、いつの間にかベットで眠っていた。   
眼が覚めて、散歩がてら外をフラフラとし、スーパーで買い物をしようとすると、驚いた事に”オーイお茶”のペットボトルがあった。が、値段は6ドル(660円)とめちゃ高い。他の日本製品もやはり高かったが、全体的な物価は日本より安かった。円高のおかげだ。


時差ボケの為かその夜はなかなか寝つけなかった。次の日もそんな感じで時差ボケ解消に徹した。  

ロスで4泊して、いよいよ自転車に乗った。思っていた以上にフル装備の自転車は重くーこんなんでほんまに走れるんか?ーと、思ったが、ロスの街を抜け西海岸に沿って南下していくうちに、まあ何とかなるだろうという気持ちになってきた。

アメリカで驚いたのは、マクドナルドのハンバーガーにスーパーサイズというものがあり、普通のものより一回りも二回りも大きく、また、たいていのファーストフードでは、飲み物はおかわりが自由だということだ。  

いよいよメキシコに入国だが、メキシコはアメリカと違いスペイン語だ。一応ほんの少しだけ日本で勉強をしたが、全く覚えられなかった。まあなんとかなるだろうと気楽に考えていた。

メキシコの入国は非常に簡単で、ただ回転扉を2回通過すれば良いだけだ。どうも72時間以内なら自由に出入りできるらしかった。
もちろん、それ以上滞在する予定なら申告さえすれば問題は無い。

メキシコとアメリカとの国境に石碑があったので、その写真を撮ってメキシコへ入国した。  

メキシコに入った途端、懐かしいアジアの匂い?がした。というのは、タイやマレーシアと同様に、メキシコの路上には多くの犬などの死骸がころがっていて、独特の匂いを漂わせていたのだ。
日本の犬と違い、こっちの犬共は遥か遠くにいてもこちらを見つけ、「何か怪しい奴が来たぞ!よし、おどかしてやれ!」とでも、相談しているかのように、大体の犬共が襲いかかって来る。
それは別に自転車に限らずバイクや車、果ては大型トレーラーにまで襲いかかっていくのだ。そして、トラックなどに挑戦していった犬共は、無残にもやられ「キャイーン」という悲鳴と共に路上に転がるのだ。
今回の旅でも何度か目の前でそういう光景を見た。その度に可愛そうだなあとは思ってしまうのだが 。。。 



メキシコのイメージはサボテンだったが、始めの頃、どこにもサボテンなどは無く、やはり噂は噂だけなのかと思っていたのだが、南下していくうちにどんどんサボテンが出現し始め、やはりメキシコはサボテン王国だと思わざるを得なくなった。

メキシコ北部にエンセナーダという町があるがその手前で衝撃的な出来事に出会った。
昼頃、右前方に墓石らしきものを発見した。まさかとは思ったがよく見るとやはりそうだった。初め、ひらがなの’の’が見えた。  
−嘘!!− と、思いつつも自転車から飛び降りそばに駆け寄った。
やはり、日本人で、その方は世界一周に旅立ち、志半ばにして事故か何かでこんな人の全くいない所で、寂しく亡くなっていったかと思うと、無性に涙が出てきて止まらなかった。さぞかし無念だったろうと思う。しばらく、その場から動けなかった。 

−もし、同じ様に死んでしまったらどうしようか?− その時に初めて残された人々についてかんがえた。  
その方のご冥福をお祈りします。  



メキシコのバハ=カリフォルニア半島を走ったのだが、ここには見渡す限りの地平線が広がり、とにかくどこまでも石とサボテンしかない荒野が続いていた。
荒野というのは何故か妙に旅人の心を震わせるものがあり、ふと、立ち止まってみると、そこは音の無い世界で、あるとすればそれは風の音か忘れた頃にやってくる車の音ぐらいだ。

このサボテンランドでは、そこにある物全てがなんとも奇妙で、全く不思議な感覚に陥ってしまう。夜、ここでテントを張りたき火を目の前に満天の星空を眺めていると、もうそこはこの世の世界とは思えず、自分自身がどこか異次元空間に、まぎれこんでしまったかの様な錯覚すら覚えてしまう。
それ以後、これほどすばらしいキャンプはまだ体験していない。

ちなみにこの辺りは昼間は、40度以上にもなるのだが、日が暮れるとかなり冷え込み、その上、乾燥していたので、シャワーを浴びなくても体はサラサラしていて気持ちよく眠れた。  


地図を見ていると道が2本あり、一方はアスファルトでアップダウンが激しく、もう一方は近道で平らな道だがダートだった。
旅の始めということもあり、かなりアップダウンに苦しめられていたので、安易にダートを選んでしまった。
それは道というより、ただ車が通った跡という感じの道で砂も深く、とてもじゃないけど自転車には乗れず、すぐに後悔した。

初日は、人のいる所にたどり着いたのは、暗くなってからで、とりあえずその集落の隅にテントを張らせてもらった。
小さな店があり、「とにかく何でもいいから食べたい」と言うと、クラッカーの上にシーチキンをのせた物をくれた。
そこのおばさんはぶっきらぼうではあったが、めちゃくちゃ親切だった。


翌日、気を取り直して出発したのだが、とにかく道がひどくほとんどガレ場や砂場で、とてもサイクリングというものではなかった。
ひたすら押しぱなしで頑張ったのだが、結局道に迷い、朝、出発した付近になんとか戻って来るのが精一杯で、再出発しようにも、今の精神力では駄目だと思い、結局その日の活動は終了することにした。  


翌朝、いつもより早めに出発した。
前日とは違う道を選んだのだが、道の状態は相変わらずだが、そんなことよりも目の前の道が、正しいのかどうかを知りたかった。
水と食料の残りが少なかったこともあり、かなり精神的に参っていた。  

−もう駄目だ! こんな所で死んでしまうのか!− と、本気で思い、坂道がしんどいという理由だけで、ダートを選んだ自分自身を恨んだ。
本当に愚かで、あさはかだった。( 第3話へつづく

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