中南米の大自然と遺跡の数々。
9ヶ月に及ぶ縦断の記録です。
第25話 チリの日本人宿−汐見荘−                              


<<チリの日本人宿−汐見荘−>>

 チリの首都サンチャゴから120km程行った所にVina del Mar(ビーニャ・デル・マール)というビーチに面した街があり、海に面して幾つものカラフルなビルが立ち並んでいた。ここには南米旅行者の中でも有名な日本人が経営している宿、汐見荘がある。ここのところほとんど日本語を喋る機会が無かったので、久々の日本語を話したときに自分の日本語がおかしい事に気付き、なんとも話しにくかった。
 この辺の気候は昼間の日差しは刺さるように暑く、これだけを聞くとひなたを歩くのは嫌な気がするが、チリ沖を流れる南極から来るフンボルト海流の影響の為か、吹いてくる風は冷たく、ひんやりとしていて最高に気持ちが良い。実際、目の前のビーチでも海岸には大勢の人が出ていて、賑やかなビーチだが、皆が泳いでいるかと言うとそうでもなく、泳いでいるのはほんの少しの人達で、たとえ泳いでも10分も経たないうちにあがってくるそうだ。ビーニャという街は日差しが暑くても風が気持ち良いので、ここになら住んでみても良いなーと思わせてくれる街だった。

 ここに来た目的は日本からの荷物を受け取る事で、荷物がちゃんと全部届いていたのが嬉しかった。日本から多くの手紙が届いていて、ほんとに日本にいた友達に感謝し、またしても多くの友人の励ましのメッセージに涙し、旅の最終ステージを前に再度、気合が入ってきた。既に汐見荘には何人かの日本人がいて中にはペルーで知り合った人との再会などもあり、おたがいが別れた後の旅の様子などを話し合ったりと、旅ならではの不思議な友情にも花を咲かすことができ、また多くの情報も仕入れる事が出来た。
 汐見荘に来て一番驚いたのはなんと麻雀があり、久々に打った麻雀で役満の四暗刻をあがり、良い思い出が出来た。

 他にしなければいけない事はチリ北部を旅していたときに日本から持っていったガソリンストーブが故障し、いくら分解してもどうも直らなく、新たに購入する事を考えなければならなかったことだ。今まではレストランなどで何とか食べることは出来たが、これから行くパタゴニアには全く食料が補給できない区間もあり、ストーブ無しでの旅は考えられなかったということと、サンチャゴに行けば良いものが手に入るということでここまで我慢して来たのだった。
 いざ、サンチャゴの街で探してみるとMSR社の物が日本で買うよりも安い値段で手に入れることが出来、性能もかなり良かった。
 ここから、プエルトモンまでバスで移動の予定で、結局今回の旅では平坦部の多くがバスでの移動になってしまい、壮行距離を稼ぐことが出来なかったがアンデスの山々をメインに走ったおかげで内容的に十分濃いものになった気がする。前回、タイ〜マレーシア〜シンガポールの旅では殆どフラットだったので道中の記憶が殆ど無く、なんかあっけないものに終わってしまっていたが今回は違う。ここまで来た道の殆どを思い出すことが出来、だいたいではあるが何処に何があったかさえも言え、やっぱり人というのは楽なことよりも辛い事ばかりの印象のほうが強いみたいで、またその方が後に良い思い出になるという事も実感できた。

<<チリ・プエルトモンに日本人チャリダー集合、まさかの再会!!!>>

 もう1月も終わろうとしている。日本へは大学が始まる4月までには帰らないといけない。もう残された時間は一ヶ月少々、多くて2ヶ月くらいだ。

 プエルトモンには漁港があり、美味いシーフードが安く食べられるというので早速アンヘルモという漁港に行った。市場に入るとあちこちから「ウニ美味いよ!!!」、「魚、シャケ、シャケ!」などと誰に習ったのか片言の日本語で話しかけてくる。多くの外国人がこの地を訪れるが実際に店に入るのは日本人ばかりらしく、今までに無いほどの歓迎を受けた。適当に入り、貝を頼んだら大きなお皿に山盛りの貝を出してくれ、これでもかーっていうほどたらふく食べ、かなり大味ではあったが、久々のシーフードにかなり満足し、明日もまた来よう!と市場をでた。

 市場の入り口には土産物屋が多く立ち並んでいて、ぶらぶらとその辺をうろついていると、見なれた形の自転車を2台見つけた。海外を走るサイクリストは大抵マウンテンバイクかクロスバイクに乗っているんだが、その自転車は紛れも無く日本製の「ランドナー」というタイプの自転車だった。すぐに目にとまり近づいてよく見てみると「JACC(日本アドベンチャーサイクリングクラブ)」のステッカーを見つけ、日本人の自転車だというのが分かった。誰の自転車なんだろうと辺りを見回していると、五分もたたないうちに2人の日本人が近づいてきて、話しかけてきた。後から聞いた話では自分らの自転車に怪しい奴がうろついているので急いで戻ってきたらしい。この頃、確かに髪の毛も長く国籍不明でうさんくさかったかもしれなかったが、日本人にでさえ日本人として見られない自分って一体?って感じだ。しばらく話をして、明日ここでメシを食おうという事になって別れた。二人の名前は藤本さん、高嶋さんと言い、途中から一緒に走っているらしい。

 翌日、約束の時間に彼らと落ち会い、一緒に飯を食った。3人もいたので市場でいろいろなものを頼む事が出来、いろいろなシーフードを堪能することが出来たが、やっぱりどれも大味だったが美味かった。市場から出ようとしたとき前から怪しい日本じんらしき人が現れ、お互いの目が合った瞬間「ア!!!なんでここに?」とほぼ同時に口々に言った。なんと、メキシコのペンション・アミーゴという日本人宿で出会い、アミーゴに来た日も同じで、出た日も同じで同室だった瓢子夫妻の旦那さんのほうのトシさんだった。お互いがまさか今ごろここにはいないだろうという信じていたので、ほんとに不思議な偶然の再会に驚いた。市場の外に奥さんの慶子さんもいるということなので早速会いに行った。相変わらず慶子さんも元気そうで日本の裏側の小さな町で5人ものサイクリスト達が偶然出くわしたのはほんと怖いくらいの偶然だった。とりあえず、その夜にみんなで夕飯を食べようということになり別れた。

 夕方、待ち合わせの場所で再会し中華レストランに行き、まずはワインで乾杯し御馳走を前に久々の再会とお互いの旅について話が盛りあがった。その後、酒とつまみを買い込んで高嶋さんと藤本さんの泊まっているホテルに行き更に話が盛りあがった。みんなすっかり顔が真っ赤になるまで飲んで、ほんとに上手い酒を飲む事ができこれからのお互いの旅の無事といつか再会することを願って彼らのホテルを後にした。

 高嶋さんと藤本さん、瓢夫妻と目的地はみんな世界最南端の町ウスアイアということで同じだったにも関わらず全く進んでいくルートが違っていてこういうのもなにか不思議なものを感じずにはいられなかった。高嶋さんと藤本さんは一日早く出発していたのでその日は瓢夫妻と一緒に市場でシーフードをたらふく食べ、翌日の出発の日は船に乗船する直前まで見送りに来てくれ日本での再会を願い硬い握手をして別れた。

(26話に続く)

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