中南米の大自然と遺跡の数々。
9ヶ月に及ぶ縦断の記録です。
第22話 クリスマス・イブのロマンス・・・
                              


  <<クリスマス・イブのロマンス・・・>>

 イブの夜、エルバの親戚宅へ親族一同が各自パーティー用のチキンやシチュー、ガーリックトーストに手作りケーキにデザートを持参し、集まった。数え上げたらきりが無いほどの御馳走がテーブルの上に並べられていて、まずはシャンパンで乾杯し、次はバケツのように大きなボトルからワインがグラスへと注がれた。目の前の小さなワイングラスだといつまでたっても無くならないのでは?と思ってしまったがテーブルの足元にはそれらがいくつか並べられてあり、全部飲むのか?と聞くと、「もちろん!」という返事がかえってきた。からかわれたのかもしれないが彼らならほんとに飲み干してしまいそうな勢いだ。

 丁度、夜中の〇時になった頃、町中で花火があがった。大きな花火ではなく、各家庭から打ち上げられたものばかりだと思うが、かなりの数だった。花火に見とれているとエルバが花火を差し出してきて、早速、火をつけた。一個一個は小さな打ち上げ花火だが、町中の人間が打ち上げるとそれはもうすごいことになっていた。ラジカセを家の前に持ち出し、踊っている家族もいた。南米の生活が長くなるとそのときに流行っている曲というのが耳につき、身体は反応しつい踊り出したくなってしまう。周りでは子供から老夫婦まで年齢に関係無く踊り始めていた。これが南米のクリスマス・イブかと、想像以上の盛りあがりだった。

 夜中の二時くらいにフェルマンの友達たちがやって来て、ディスコに連れて行ってもらった。どうも南米のイブの過ごし方はまずは家族や親戚達と過ごし、その後、若者は若者同士で集まって過ごすみたいだ。フェルマンの友達のマリアは彼氏とはイブを過ごさずに、皆と一緒にディスコに来ていた。「なんで、彼氏と一緒に過ごさないんだ?日本ではイブの晩は友達よりも恋人同士だけで過ごすのが普通なんだ。」というと、彼女は笑って、「イブの日をたった2人だけで過ごすの?それよりも皆でわいわいした方が楽しいじゃない?」と妙に納得させられる返事をもらった。

 このマリアという女性が何かと世話をやいてくれたり、皆がスペイン語で早口で言ってるのをいつも横で英語を交えて、噛み砕いたスペイン語でゆっくりと分かりやすく話をしてくれた。もちろん、踊るときもずーっと一緒に踊ってくれ、喉が乾いた頃にはさっと横からビールを差し出したりもしてくれた。さすがにずーっと踊っているとかなり疲れてきたので休んでいるとすぐ横にマリアも座った。周りが騒がしいので必然的に2人の距離は近づいていかざるを得ない。そんな状態でずーっと話をしていると友達以上としての気持ちにも傾いていきそうになるが、僕の頭の中にはマリアの彼氏のことが気にはなっていた。どれだけの時間が過ぎたかは分からないが、フェルマンが「そろそろ帰ろうか?」と言って来て、「エッ!?」、直ぐには返事が出来ず、どもっていると、フェルマンはマリアとのフインキを感じとって、「シンイチ、お前はあとから帰って来い。」、すかさず「グラシアス(ありがとう)!グラシアス!フェルマン!」と返事をし、目で頑張れよ!という合図を送り、フェルマンは他の連中のところへと行った。

 マリアにトイレに行ってくると伝え、その場を離れ戻ってくるといつのまにかステージではチークタイムが始まっていて、マリアを誘おうと、もといた所に戻ると、マリアが他の男と話をしていて、そのまま踊りに行った。呆然として見てると横からフェルマンが近づいてきて、親指を立てて、しょうがないよという表情をしていた。フェルマンの肩に手を回し、マリアがチークを踊っているのを横目にしながらディスコの外に出た。外はもう夜が明け、フェルマンのバイクに2人乗りでまたがり丘の上にあるエルバの家に向かった。

 <<ユースホステルでの年越し>>

 クリスマスをエルバやフェルマン達と過ごし、南米での素敵な思い出がまた増えた。いよいよ出発のときにはさすがに旅立ちにくく、それでもいつまでもお世話になっている訳にもいかず、エルバ家を後にし、次の町アルゼンチン北部では最大の「サルタ」を目指した。アルゼンチン北部最大の町・サルタは大きくなかなか目的の所へは辿り着けず、安いホテルもすぐに見つけられそうも無かったのでまずは観光案内所を目指した。観光案内所では安い所は何処だ?と、訪ねると、すぐにユースホステルを紹介してくれ、物価を考えると1日$10の出費は仕方ないかとも思い、ユースホステルを訪ねることにした。

 そこには何人かの先客がいたがその中に日本人はいなかった。ユースホステルの中ではもちろん英語が公用語で、外国では日本人が日本人宿で落ち着けるように、南米を旅する多くの旅行者はこういう所で落ち着くことが出来るのだろう。今までずーっとスペイン語ばかりで話していたのにそれがいきなり英語になるとやっぱり戸惑ってしまう。もともと英語を完璧に話せるわけではないので、話しかけられてもすぐに英語がでてこず、周りの外国人にはほとんど英語が話せない日本人だと思われてしまい、英語しか喋れない人からは話しかけられなくなってしまった。だから、多くの人とは喋ることは無かったが、それでも大晦日の日に宿泊客全員で料理を作ってパーティーをしようという事になったときはヒーロー気分を味わう事が出来た。というのも、パーティーの料理を作るときに何か手伝う事は無いか?と尋ねたときに、それならサラダを作ってくれ、と言われ、張り切ってオニオンスライス、人参やキャベツのスライスを「トントン・・・・」と、勢いよく音をたててきざんでいると、みんなそれを聞きつけ、どんどんキッチンへやって来て、「スゴイ!!!」、「今日は我々に新しいママが誕生 した。」などと、言いながら、今までおとなしかった日本人が一気に有名になってしまった。日本でアルバイトをしていた経験が役に立ち、「芸が身を立てる」とは当にこの事だと思った。

 いよいよ、カウントダウンをしようというとき、面白い事にまた日本人として皆の注目を浴びた。「誰か時計を持ってないか?」と誰かが尋ねたときに、すぐに皆の視線を感じ、「それは日本製か?」と聞かれたので、「そうだ。」と答えると、「それが一番正確だ。それでいこう。」なんて言われ、皆も納得した。心の中で、「なんでやねん!!!」、いくら精巧で狂いなく出来ている日本の時計でも合わせてある時間が適当なら時間も適当で、特に時差とかでまともに時間を合わせた事が無いのにその時計を基準に新年のカウントダウンをしようなんて、ほんと適当というか、まあ、それだけ「日本製」というブランドの威力を見せ付けられた場面ではあったので、嬉しかったのは確かだった。

 「3!・2!!・1!!!・0!!!!、Happy New Year!!!」と、叫び、すぐにキスの嵐が降ってきた。だれかれと構わず、とにかく近くにいる人とキスをするようで、噂では聞いていたので驚きはしなかったが、ほんと皆うれしそうだ。日本ではまず、「新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。」と、どこか厳かなところがあり、堅苦しいところもあるけど、それに慣れているとその方が正月!って感じがして良いような気もした。やっぱり日本人なのかなー。でも、目新しい新年の迎え方だったので楽しかった。

 料理を殆ど食べ尽くした頃、ディスコに行こうということになり、結局、朝まで踊り明かしてしまった。ほんと皆何処にそれだけの体力があるんだというくらい元気で、少し休んでいるとすぐに「どうしたんだ?さあ、踊ろうぜ!」なんて話しかけてきて、「ちょっと休んだらすぐに行くから。」と言うと、しばらくしてまた別の人が誘いに来る。そんな事を繰り返しているうちに朝になっていた。

( 第23話へ続く )

HOME_side CUB_side BEAVER_side VENTURE_side
BOY_side 中南米旅日記 DAN_side


ご意見・お便り viaje@fogatas.comメールヨロシク!