中南米の大自然と遺跡の数々。
9ヶ月に及ぶ縦断の記録です。
第20話 ラパスで考えたこと
                              


<<ラパスで考えたこと>>

 町の中でランチを食べ,食後にアイスクリームを食べるのが日課になっていた。コーンの大きさは日本のものと同じ位なんだが、その上にこれでもか!っていう位大きなダブルのアイスクリームが乗って、Bs.4.5(日本円で100円程)は激安で、とにかく毎日2つくらいは食べていた。大きなアイスをやっと食べ終わり、コーンの半分くらいになった頃に何処からとも無く、先住民の少女が「チョーダイ,チョーダイ」と言い寄ってきた。いつものように「ノー、ノー」と言ったのだが、やたらとしつこく言ってくるので無視してるとやっと諦めたようだったが、そのときふと考えさせられてしまった。
 「なんで、こんなアイスクリームくらいあげなかったんだろう?」今まではそんな気持ちになったことは無く、物乞いに物やお金をあげたことなんて数えるほどしかないのに、このときは何故かいたたまれない気落ちになってしまった。
 知らないうちに雨が降り始めてしまっていたが、雨の中、いろいろと考えながら黙々とあても無く歩いていた。この日程,多くの先住民の親子を見たことも無かったし、真剣に彼らのことを考えたこともなかった気がする。みんなほんとに貧しいが必死に生きているのがよく分かったし、何かの拍子に笑っていた親子がいたけど、その時の笑顔は印象的だった。
 ボリビアが南米の中でも1,2を争う貧しい国なのにラパスの町は比較的裕福な気がした。町の中心ばかりが行動範囲になってしまっていたからかもしれないが自家用車も多いし、気の利いたCafeも多かくあり、そしてなによりみんなこざっぱりとした服を着ているのが多かった。
 そんな中、先住民の姿がやたらと多く目立ち、色あせた民族衣装をまとい、町中の路上で何かしらの物を売って生計を立てているようだった。そんな姿に「裕福さ」ということを考えさせられ、ラパスを後にした。

<<ワインの国アルゼンチンへ・・・>>

 日本帰国予定の3月まであと、3ヶ月。ここまでゆっくりしすぎたようでもうこれからはのんびりとはしてられない。もう、アンデスは十分走ったし、季節も雨季なのでボリビア国内を走ることは断念した。バスで一路アルゼンチンとの国境の町、ビジャソンを目指した。途中、何度もパンクし大幅に到着予定時刻が遅れ、結局40時間くらいバスに乗っていることになった。もう、ヘトヘトになりすぐ近くにあったホテルに部屋を取って、一日ゆっくりと休養を取った。
 もう、すぐ目の前はアルゼンチンでいよいよかと、胸の高まりを押さえることが出来ずに、明日すぐに国境を超えれるようにと下見がてら国境まで歩いていき、イミグレーションの位置を確認し、帰りに物価の安いボリビア側で残ったお金でいろいろと買い足して、出発に備えた。
 
翌朝、無事国境を越えると目の前に大きな看板があった。
『USUAIA(ウスアイア)まで○○km』
何kmだったかは忘れてしまったけど、確か4500kmくらいの気が遠くなりそうな距離表示だったけどいよいよ旅の最終目的地・地の果てのウスアイアという文字を見たときはボルテージが上がっていくのが分かった。
 アルゼンチンに入ると町のフインキがガラッと変わった。ボリビアではあんまりお目にかかれなかったヨーロッパ系の人が多く、町もきれいな感じがして、やはり南米内でも物価が高くて有名なアルゼンチンと物価の安いボリビアとの格差は至るところで目に付いた。そんな中で特に嬉しかったのはどんな田舎の商店に行っても冷蔵庫の中でよく冷えた飲み物を買えることだった。もちろんその反面、物価の上昇もそれだけ半端なものではなかった。
 国境の町からはずーっと下りっぽい道で気持ちがよく、この頃には日が沈むのも夜の9:00くらいだったので、つい走りすぎてしまう。又、キャンプ場も多くあり、物価が高い分そういう面で節約が出来きたのは嬉しかった。
 ある町にたどり着いたとき、その町にはホテルが無いことは判っていたがずうずうしくも軍隊の施設の入り口にいた兵士に質問した。
「この町にホテルはないか?」
「うーん、この町にはホテルは無かったな―。」
「それなら,キャンプ場は?」
「うーん,キャンプ場もないなー」
「オッケー、それなら、どこかキャンプ出来る所、テント張れる場所はないか?」
「お前は今日はこの町で泊まりたいのか?」
「ああ,そうなんだ。今日はもう疲れたからこの町で休みたいんだ。」
「ヨシ!分かった。じゃあ、ここに泊まれば良い。ちょっとここで待っとけ。すぐに戻ってくる。」
そう言い残しその兵士は去って行き、またすぐに戻ってきた。
「今日はここで眠れるぞ。さあ、中に入ろう。」
と言われ、中に通してもらい、てっきりテントを張れるだけのスペースを貸してくれるのかと思っていたら、なんと部屋を一部屋貸してくれ、シャワーも自由に使って良いとのことだった。それにしてもこうも簡単に軍隊の施設に宿泊できるなんて思ってもいなかった。
 寝る所が無く、警察署や軍の施設で寝たというのは、過去に自転車で旅をした人の本の中で読んでいて知識としてはあり、いつか自分でもやってみようとは思ってはいたけど、まさかほんとに泊まることになるとは。さすがなんでもおおざっぱな南米。日本では自衛隊の施設なんかにはなかなか入れないし、入れるのは見学のツアーに参加するか、防衛大学の入試のときくらいで、それに旅人というわけの分からない奴を一晩泊めるなんてことはありえないことだろう。
 部屋に入って荷物を整理してると、すぐに何人かが物珍しそうにやって来て、いろいろと質問攻めにあった。いつものように聞いてくることはまず名前はなんだ?何処から来たんだ?何処へ行くんだ?など、同じことばかりなので既にそういうことに関してはすらすらとスペイン語で答えられるようになっていた。あまりにもすらすらと答えるのでお前はほんとに日本人か?と聞かれる始末。そんなに日本人離れした顔なのかなあ?と自問自答していた。
 夜、ここに案内してくれた兵士から買いものに行くから一緒に行かないか?と誘われ、ついて行くことにした。何でもその夜はアサードというアルゼンチン名物の言ってみれば焼肉をするのでその買出しらしい。アルゼンチンのアサードは日本の焼肉のように小さく切った肉を焼くのではなく、大きな塊で買ってきた肉をステーキ感覚で切り、その塊を一人が何個も食べるというものだった。噂には聞いていたが実際に目の前で見て、そういう場に参加すると大飯食らいのサイクリストとしてはなんともありがたいもので、思いっきり腹がいっぱいになるまで食べ、たらふくワインを飲むことが出来、至福の喜びを感じた。
 この辺りから自分から進んでワインを飲むようになったのかもしれない。日本では殆ど飲んでいなかったし、これまででもペルーなんかで何度もチャレンジしたがいつも下痢になっていて、身体に合わないのかもとさえ思っていたほどだったのに。
 翌朝、そこを出るときにこの町の新聞に載せるからと記念撮影をし、新聞に載せてもらえるだけでもありがたいのに、おまけにたった一晩お世話になっただけなのに餞別までくれた。ほんとはこちらからなにかお礼を差し上げるべきなのに、こちらからしたことと言えば、日本から持って行っていた絵葉書に兵士たち一人一人の名前を漢字で書いてあげたくらいだったので、ほんとに申し訳無かったけど、ありがたかった。ただ、さすがワインの国・アルゼンチンだと思ったのは餞別がビールの大ビンよりも大きな大きさのシャンパンで、走っていて疲れたらこれを飲んで休め、ということらしい。
 そのあと彼らに別れを告げ、さらに南を目指してペダルをこいだ。彼らに言われた通りに一回目の休憩のときに早速シャンパンのふたを飛ばした。勢いよく出てきたシャンパンを口に含み、アルゼンチンでの幸先の良い出会いに涙が込み上げてきた。どうも最近は何にでもすぐに感動し、涙が出てきて困る。行く先々で出会った人々の応援でここまで旅してこれたんだなあとつくづく思いがら涙を拭い、再び自転車にまたがった。

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