中南米の大自然と遺跡の数々。
9ヶ月に及ぶ縦断の記録です。
第13話 国境を越えるとそこには・・・。
<<国境を越えるとそこには・・・。>>
ペルーに入国して何気なく自転車をこいでいると「あれっ!何かおかしい?何や?!」今まで道の両サイドにあったはずのバナナのジャングルが一変して、何もない荒野に変身してしまった。たった一本の目に見えない国境というラインを越えただけで、文化どころか植生まで変わってしまうのかと、かなり驚かされた。ほとんど気候も変わらない地域で本当に全く変わっているのが凄く、さすが世界一のバナナ国!その国では荒野さえも農園に変えてしまっていたのだった。30kmも走らない内にペルー側の国境の町Tumbes(トゥンベス)が見えてきて、今日はどこのホテルに泊まろうか?と、探していると、何人かの男が話しかけてきて、その内の一人が「いつ、ここを出るんだ?」とか、「自転車かバスか?」と、しつこく聞いてきた。妙にしつこかったので何なんだ?と思いながらも、「ここからバスでLima(リマ)まで行く」と言うと、
「何故?」
「泥棒や強盗が多いから」
「じゃあPiura(ピウラ)までは自転車で行け!!! 俺はタクシーの運転手をしていて一日に何度も往復しているので、全く問題は無い!!!とにかくピウラまでは安全だ!」などと言ってきた。実はここに来るまでにいろいろな旅行者からペルーの北部のピウラ付近はかなり危険で、ほんのちょっと前に日本人のサイクリストが身ぐるみはがされ、自転車以外全ての荷物を取られた、という話を聞いていて、この区間は自転車では走らないでおこうと考えていた場所だった。他にも白人サイクリストもまた同様の事件に巻き込まれているし、日本人カップルもこの辺の観光地で丸裸にされて所持品を全て取られた、というのも聞いている。これが数年前に起こったことならあまり気にはならないのだが、全くタイムリーな話でほんの2,3ヵ月前に起こったばかりのことだったので、この区間はとばそうと考えていたのだったが、彼らは何故かやたらと安全だと言ってくる。これは明らかに危ないとすぐに分かった。多分、今、目の前にいる奴らが数々の事件を起こしている輩か、そのうわさを聞いて集まってきて自分らもいくらかあやかろうとしている輩なんだろう。もし、強盗の情報を
聞いていなかったら、まんまと強盗の餌食になるところだった。つくづく自分の運の良さに感心した。
とりあえず、すぐ近くに安いホテルがあると言うのでそのホテルの位置を確認してその場を去った。チェックインして、まず、シャワーを浴び、腹ごしらえに出かけた。その後、バスのチケットを探し、チケットの都合でこの何もない田舎町で2泊もしなければならなかった。ちょっと、フラフラと歩き回ると狭い町だと言うことをあらためて知らされ、たまにはこんなところで休むのも良いかなあと考えながら、アイスクリームをなめながら公園で時間をつぶし、エクアドルアンデス縦走の疲れを癒した。
<<ペンション西海>>
バスに揺られて10数時間。やっとペルーの首都Lima(リマ)に着いた。途中、ペルー人に話しかけられ、辞書を片手に持っての会話でかなりの時間を潰したにも関わらず、やはり、長かった。まともに、自転車に乗ってきていたらおそらくひと月はかかる距離なので長くて当たり前だ。
「地球の歩き方」に載っている日本人宿「ペンション西海」を訪ねようと、バスの中で知り合ったペルー人に住所を見せ、ここからどう行けば良いのか尋ねると、その辺はとても治安が悪いからタクシーで行ったほうが良い、と言われ従うことにした。まだまだペルーという国になれていないし、悪名名高いペルーを無事に抜けるには現地の人の言葉を無視するわけにはいかない。タクシーで目的の住所のところの前に着くと、そこは人が住んでいるかどうか分からないほど傷んだシャッターで閉されていたので、「しまった! 引越ししてしまったのか? うーん、どうしよう?」と、考えていると、タクシーの運転手がシャッターを叩いてみろ、というので言われるまま叩こうとした。すると、シャッターの右上のところにブザーがあったのでまず、それを押してみた。しばらくすると中から「どなたですか?」という声がして、すぐに「日本人旅行者です。ここは西海ですか?」と答えると、「そうです!」という声とともにシャッターについている小さな扉が開いた。中から日本人が出てきて温かく向かい入れてくれた。初めに口にした話題はやはり入り口のシャッターのことで、聞
くところによると、日本人の何人かは西海の前まで来て引き返していくそうだ。怪しいシャッターの中はさらに怪しく、薄暗い。全体的に湿っぽく、太陽の光が差し込む隙間のない、ただ電灯の明かりだけが唯一の光源のようだった。細い通路を抜け奥の広間に通された。広間の大きなテーブルには3人ほどの旅人たちがいて、久しぶりの日本語を喋れて嬉しかったが、このときくらいから自分の喋っている日本語のイントネーションの変化に気付き始めていた。関西人のはずが何故か関東弁になってしまっていたのだった。それは日本に帰ってきてもしばらくは続いていた。
<<日本からの手紙>>
リマに来ての一番の目的は何と言っても日本からの手紙を受け取ることだった。予め、この時期くらいにリマに着くので日本にいる友人たちにリマにある日本大使館宛に手紙を出してもらっていたのだった。大使館で自分の名前が呼ばれ、手紙を受け取ると、予想以上の手紙と小包がきていた。大使館を出てすぐにいくつかの手紙に目を通した。サークルのみんなからのメッセージ、すでに卒業しているサークルの先輩達からの手紙、大学の友人からの手紙ではみんな就職先が決まったらしい。前回のマレー半島縦断のときにマレーシアで知り合った石塚さんの手紙では日本のニュースについてかなり詳しく書いてあり、日本のことがよく分かった。ボーイスカウト関係では大学1回生のとき、ローバームート’93というボーイスカウトのお祭りに参加したときから手紙でやりとりしていた福岡に住んでいる行武さんから、ボーイスカウトの機関誌に南米の記事を載せないか、と言う申し出があり、どうしようかと悩んだが、自分の文章をそういう形で発表できるチャンスだと思い、引き受けることにした。手紙の多くが日本ではO-157というのが流行っていて、日本中が大変なことになっ
ているということが書かれてあった。ただ、一つ気になったのはアルバイト先の友人たちからの手紙が一通もなかったことだった。何か手違いでもあったのだろうか?
旅先でもらう手紙ほど、うれしいものはなかった。今だから言えるが、手紙を読んでいると、涙が止まらなかった。別に日本が恋しいのではない。ただ、多くの人たちがこの旅に声援を送ってくれているのが分かったからだ。旅にでる前もそうだったが、出てからもずーっと友人たちに支えられているということがよく分かった。とりあえず、ここ、リマから日本へお礼の手紙でも書こう!
( 第14話へ続く )
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